「銀閣」と「銀閣寺」

前述の通り、観音殿を「銀閣」と称するほか、寺院全体の通称は「銀閣寺」として知られている。一方、入学試験で当寺が正答となる問題が出題されたさいに「銀閣寺」と解答すると、誤答とされた事例があった。

1977(昭和52年)3月に実施された北海道公立高校入学試験(北海道教育委員会作成)においては、「銀閣」「慈照寺」は正答とされた(ひらがな表記を含む)が、「銀閣寺」は誤答だった。この設問についての出題者の見解は、「銀閣は、慈照寺という寺のいくつかの建物の一つで、教科書でも銀閣寺とは記述されていない。「銀閣」または「銀閣(慈照寺)」と示されている」としている。なお、当寺の近隣には「銀閣寺前」を称する電停バス停があるほか、修学旅行などのガイドも銀閣寺と呼称していたことを挙げて「入試問題の落とし穴」とした報道もあった。[8]なお、2002(平成14年)に実施された横浜中学校の入学試験における選択肢では「慈照寺銀閣」と記述されている。

国宝東求堂「とうぐどう」は義政の持仏堂で、1486(文明18年)の建立である。
東求堂の名は横川景三の撰による。池に面して建てられ、大きさは3間半四方。正面左
は方2間の仏間、右奥は義政の書斎(同仁斎とよばれる)である。書斎の北側に設けられ
た付書院と違棚は現存最古の座敷飾りの遺構であり、
書院造や草庵茶室の源流として、
日本建築史上貴重な遺構である。なお、創建当時は現在位置より南方の銀閣に近い位
置に建てられていたと推定されている。
関白太政大臣を勤めた近衛前久が晩年隠棲
した際、ここに寓した。薨去後の法名は東求院龍山空誉。
庭園は特別史跡・特別名勝。

シ ハハハハハハフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


            方丈(本堂)

            東求堂(国宝)
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