真宗大谷派名古屋別院愛知県名古屋市

真宗大谷派
寺院である。同派の別院真宗本廟(東本願寺)本山と仰ぐ。
開基は、
東本願寺第十六代法主 一如
通称は「東別院」、「東御坊」、「名古屋
東別院」、「東本願寺名古屋別院」。
元禄3年(1690年)尾張藩2代藩主・徳川光友より織田信秀の居城・
古渡城の跡地約1万坪の寄進を受けて建立された。尾張の6つの寺が、この
地に布教の拠点を置くことを本山に願い出たが、当初は他の寺から猛反対
を受けた。

文化2年(1805年)五代惣兵衛が本堂を再建した。惣兵衛はこのためだけに
真宗へ改宗し、さらに本山である
東本願寺に多額の寄進をしたことにより、使
用する材木の調達を一手に請負うことに成功。

文政6年(1823年)、新たな本堂が竣工した。この年、本山の御影堂と阿弥陀
堂が焼失。緊急の措置として、別院(当時の呼称は「名古屋御坊」)の古御堂
が東本願寺の本堂とされた。

明治期には、愛知県庁や愛知県議会の機能が同地に設置された。
明治7年(1874年)51日から610日にかけて開催された、「名古屋博覧会」
の会場としても使用された。同博覧会では
名古屋城金鯱や地元の名産が展
示され、好評につき、当初531日までの予定であった会期は10日延長された。

昭和20年(1945年)312日、名古屋大空襲の被害を受け、、本堂をはじめ、
ほとんどの施設が焼失した。現在の本堂は、戦後再建されたものである。

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山門 当初の山門は宝暦7(1757年)建立。現在の山門は、昭和20
(1945年)の空襲による焼失後、昭和43年(1968年)に再建された。
釈迦如来像、弥勒菩薩像、阿難尊者像を安置


本堂
当初の本堂は元禄15(1702年)建立。2度の再建後、昭和20
(1945年)の空襲で焼失。現在の本堂は、昭和41年(1966年)の再建。


対面所
毎月5(1月のみ10日)〜28日まで、名古屋教区内外の布教使に
よる法話が行われる。1階に名古屋別院総務部・財務部を置く。



       昭和20年焼失前の名古屋東別院の俯瞰図


               
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