元々は松坂屋の前身でもある「株式会社いとう呉服店」の初代社長・伊藤次郎左衞門祐民
の別荘として、約1万坪(35,000平方メートル)の森を拓いて築かれた。1918年(大正7年)
に最初の建物が移築され、修学院離宮を参考にした池泉回遊式庭が造られるなどして、
最終的に完成した昭和12-14年頃には移築・新築された30数棟があったという。大正から
昭和初期にかけては皇族や華族、政治家や著名人の他に外国人も多数訪れ、国内から
の寄宿生に加えて留学生の受け入れも行っていた。1945年(昭和20年)3月24日に空襲を受けて建造物の多くが焼失。また戦中は日本軍に、
戦後は米軍に接収され、その後は松坂屋独身寮として使用された。敷地の多くが開発され
て庭園も南北に分断されたが、数棟の貴重な建物と庭園が残されている。
2003年(平成15年)から特定非営利活動法人揚輝荘の会が管理を行っており、2006年
(平成18年)度末には伊藤家から土地建物が名古屋市に寄贈、2008年(平成20年)5月に
市の有形文化財に指定された。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
伴華楼 昭和4年、鈴木禎次の設計により尾張徳川家ゆかりの座敷に
洋室などを加えて建築しています信長塀(名古屋熱田神宮にも)
北庭園 京都の修学院離宮を写したといわれる池泉遊式庭園
白雲橋 京都の修学院離宮の千歳橋を摸したといわれる廊橋で
北庭園のシンボルです。龍の大天井絵、手彫りの白木擬宝珠など
に趣向が凝らしてあります。
この池に覚王山日泰寺の五重の塔が写し出されていた
三賞亭 大正7年、茶町(現中区丸の内)の伊藤家本宅より移転した
揚輝荘最初の建物です。煎茶の茶室で、竹のなげしなど東洋風の
デザインが見られる。
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