小倉城の桜(勝山公園・北九州市小倉北区)
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勝山城、勝野城、指月城、湧金城、鯉ノ城などの別名がある。
小倉城は13世紀中ごろ、紫川河口西岸にあった丘に築かれたといわれ、
近世の江戸時代前後に毛利勝信が現在見られるような縄張で総石垣造
の城郭を築き、、細川忠興が南蛮造の天守などを建てた。
本丸を中心に、南に松丸、北に北の丸、それらを囲い込むように二の丸、
三の丸、外郭が配された梯郭式平城であった。
建物は、野面積みの石垣の上に大天守と平の小天守1基、平櫓117、
二重櫓16、櫓門12、狭間3271を配していた。城下は、城の東を流れる
紫川を天然の堀として活用し城内に町を取り込んだ総構えを採ってい
た。現在、一部の石垣・堀が残り、天守・櫓・庭園と大名屋敷が再建されて
いる。ちなみに従来の構造は北九州市立いのちのたび博物館にある全
体模型でうかがい知ることができる。
天守は、4重5階の大天守と1重の小天守からなる連結式層塔型天守で
あった。大天守は最上階外廻縁が幕府への遠慮により重数を少なく見
せるために、また、雨よけのために雨戸で覆われた下層よりも張り出して
いる、いわゆる唐(南蛮)造りである、最上層の入母屋破風を除き、破風
の一切無いものであった。
撮影 松本 憲治様
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