四国めぐり・金毘羅宮・名湯道後温泉・清流四万十川・足摺岬等のツアー
に参加された、名古屋のM.I様から投稿頂きました


金剛福寺 高知県土佐清水市
蹉跎山(さだざん)、補陀洛院(ふだらくいん)と号す。宗派は
真言宗豊山派
本尊千手観世音菩薩四国八十八箇所霊場の第三十八番札所。境内には
亜熱帯植物が繁っている
。足摺岬の遊歩道付近には、ゆるぎ石、亀石、刀の石、
亀呼び場、竜橙の松、竜の駒、名号の岩の「
弘法大師の七不思議」の伝説が
残されている。山号の文字「蹉」も「跎」もともに「つまづく」の意味で、この地が
難所であったことを示している。

           フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

                  撮影 名古屋在住 M.I様

桂浜高知県高知市浦戸
太平洋に臨む海岸土佐民謡よさこい節」にも詠われ、そして太平洋を
望んで立つ
坂本龍馬の銅像がある浜辺は、高知を代表する名所の一つ
として知られる。

上竜頭岬が北東端に、下竜頭岬が南西端にあり、その間に挟まれて弓形
に砂浜が延びている。下竜頭岬には竜王宮があり鳥居が立っている。
桂浜の近くには、
1591天正19年)長宗我部元親が北側の丘陵部に
浦戸城を築き、一時この地が岡豊城に代わって土佐の中心地になった
時期もあった。しかし、初代
土佐藩主として土佐入りした山内一豊がこの
地では手狭であると感じ、
1603慶長8年)高知城を築いて移ったため
浦戸城は廃城となった。現在は、
坂本龍馬記念館桂浜水族館・大町桂月
記念碑などの文学碑等がある。


            坂本 竜馬 銅像
 高知城高知県高知市
土佐国土佐郡高知(現在の高知県高知市丸の内)にあったである。
平山城であり、現在の城跡は国の史跡に指定されている。戦国時代
以前は大高坂山城と称した。

城郭の形式は梯郭式平山城高知平野のほぼ中心に位置し、鏡川
江の口川
を外堀として利用している。現在見られる城は、江戸時代初期に、
土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2忠義の時代に完成した。
46階の
天守は、一豊の前任地であった掛川城の天守を模したといわれ
ている。


板垣 退助
(1837~1919
土佐藩士・政治家幼名は猪之助。退助は元は通称
位階
勲等爵位
従一位勲一等伯爵

自由民権運動の主導者として知られ、生存時、一般庶民から
圧倒的な支持を受けていた。没後も民主政治の草分けとして
人気が高く、
第二次世界大戦後は50政府紙幣日本銀行
B100円券に肖像が用いられた

  板垣退助像と高知城
       山之内一豊の妻 千代 

山之内一豊
戦国武将
土佐藩の初代藩主。本人よりも妻が有名。特に、
妻が手鏡の中に隠していたへそくりで名馬を買って織田信長
に認められたという逸話が有名。
 


                 
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