
影絵 ・文/石井昭さん(宇部興産〜テレビ山ロOB)
二千年前の出火原因を探る
山口県都濃郡鹿野町
| 現在の山口県の鹿野町小谷。弥生時代、この町の小高い丘の上に10軒ほどの集落があり、約50人の弥生人が生活していました。 近年この集落の遺跡を調べていた人達は、この集落が火災にあって多くの家が燃えた形跡があることに気づきました。2000年を遡る火元はどこか。出火原因は何か。いつも山口県の考古学について興味深いお話をご教示下さる、県埋葬文化財センターの中村徹也所長さんの出番です。今回もまた中村先生にお話をお伺いしました。 |
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| 専門家の鑑定を仰ぐため、鹿野町の消防署、そして徳山の消防署、さらに東京消防庁のアドバイスを得て研究した結果、出火元は屋外にあった炉であり、ここから出た火が集落の家々に燃え移った事が判明しました。いずれの家も火元に面した南側がよく燃えていましたが、ここで当時の人々が消火活動を行ったらしい事も分かってきました。 しかしこの集落は小高い丘の上にあって、水田があった丘の下の低地の水源からは程遠い場所にあります。では、弥生の人々はどうやって火を消す事が出来たのでしょうか。 これも調査の結果、焼けた土地が発見された事から、土をかけて火を消した、または藁ぶき屋根を押さえつけるために塗られていた土によるものと判断が下されました。各地で弥生時代の住居が復元され、当時の生活を再現したジオラマ等も目にする機会も増え、住まいの中央に掘られた炉の火に土器をかけるありさまがよく見られますが、ここ小谷では、炊事は屋外の炉で行われ、屋内の炉は暖房用であったようです。この集落は、火災の後再建され、以前に倍する20戸の集落になった事も分かっています。 このように、技術の進歩のおかげで、2000年前の火事の火元や消火の細部がわかるようになりました。 |
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今回の話に留まらず、たとえば以前に紹介しました豊西町土井が浜の集団墓地に、全身に無数のやじりを受けて亡くなった「戦士」の遺骨がありますが、致命傷を受けたのはどのやじりによる傷かということも解明されています。また、ネアンデルタール人の遺骨の周囲に特定の花の花粉が集まって発見され、当時すでに埋葬のセレモニー的なことが行われていたのではないかと推定されます。
考古学のロマンは、ハイテクの助けを借りつつ、ますます増していきます。