影絵 ・文/石井昭さん(宇部興産〜テレビ山ロOB)

7世紀の防衛ライン

山口県熊毛郡大和町の神籠石

 異国の襲来に備えて国境線に城壁を築く例
といえば、誰もが中国の「万里の長城」

挙げるでしょう。
 中国ばかりではありません。

 ローマ帝国のカエサルが英国を領土に収めた後、
拡大策から国境安定に転じた
ハドリアヌス帝の
時代になって、北方の敵に備えて英本土を東西に
横断する土塁と土壁が
築かれた例もあります。

防壁の一種とされる石城山の神龍石

 山口県熊毛郡大和町にある石城山の神籠石も、そうした防壁の
一種であるといわれます。


 国指定史蹟である神籠石は、石城山
(高さ約360メートル)
八合目付近を鉢巻き状に列石
が取り巻いており、
東西南北四つの谷には高い石垣が築かれ、
下部に水門が設けられています。

 
神籠石が何のために築かれたか。
 神域説と山城説がありますが、現在では山城説が
有力のようです。

 では何に備えていつ、この山城が築かれたのでしょうか。

 七世紀の終わりの頃、日本(当時の倭国)
朝鮮半島の百済国を応援して、新羅と中国の唐
相手に大規模な軍事介入を行ないましたが、
白村江の戦いで敗北を喫します。


 結果として、唐・新羅の襲来に備えて最前線
ともいうべき九州の太宰府には水城を、
福岡から
関門、瀬戸内、山陽、四国北岸を経て
都の最後の防衛線である生駒の信貴山までの
要所要所には
朝鮮式の山城を、点々と築きました。

 既に古墳時代の終わり頃から巨大石の築造は
数多く行なわれていて、石塁の技術は
十分にあった
と思われます。

日本(当時は倭国)・百済国が新羅と唐に敗北を契した、
白村江の戦い

 石城山の神籠石もこうした山城の一つであろうと見られていますが、
文献
(日本書紀)に明記されていないことなどあり、さらに研究が待たれます。

 この山城ラインは大和朝廷の命で築かれたものですが、この他にも外国から
攻撃に対応するとは思われない地域に存在する山城
(むしろアンチ大和の勢力が築いたか)
があったり、石塁が山頂から麓に襷掛けに築かれたものなどあって謎の部分も多く、
今後一層の解明が待たれるところです。

ここにも歴史のロマンがありました。

※山口県埋蔵文化財センターの中村所長さん、大和町役場の大富さんに伺いました。