
影絵 ・文/石井昭さん(宇部興産〜テレビ山ロOB)
東大寺を再建した徳地町の巨木
山口県徳地町
ケンタッキーフライドチキンの店頭に飾られている、白服の大きなお爺さん。このお店の創業者であるカーネルサンダース氏です。氏は軍隊を退役した後65歳の年、馴れ親しんだ家庭科理の味を皆に味わってもらおうとフライドチキンの店を興し、今日の隆盛を実現しました。
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時代を遡って、およそ8世紀以前の日本、奈良東大寺が源平の戦いで焼かれた時、その再興という国を挙げての大プロジェクトに取り組んだ偉大な僧がいました。京の僧・俊乗房重源がその人です。 |
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重源上人が東大寺再興の責任者「造東大寺大勧進」となったのは、61歳の時。23年をかけて東大寺を再建しました。高齢化が急速に進む日本ですが、重源上人の偉業は、今日の我々に教えてくれるところが少なくありません.この再建工事で着目されたのが、山口県徳地町の松・杉・檜の巨木を繁らせた原生林です。 |
当時の徳地町は、鬱蒼とした巨木の林が連なる山峡で、道に迷った村人を狼が人里まで道案内してくれるといった言い伝えなども残っています。
| 重源上人は伐採に当たって、巨木(長さ40メートル、直径1.5メートル)を険しい山中で運搬するための大きな「ろくろ」を設置して人力を大いに節減し、運搬水路の佐波川には関を設けて水深を深くし、木材を通りやすくした「関水」をつくるなど、運搬工学の才を発挿しました。また、工事に働く人々の健康保持のため、各所にいまのサウナのような「石風呂」を設けるなど、ここ徳地だけに限っても驚異的なアイデアを実行したのです。もちろん、東大寺で焼け落ちた大仏の鋳造をはじめ、この再建基金を求めて全国を行脚するなど、プロジェクトリーダーとしての働きは、とどまるところを知りませんでした。 | ![]() |
建仁3年(1203年)、造営は一段落を告げ、後鳥羽上皇を迎えて盛大に総供養が行われました。
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1206年、傑出した宗教者である重源は、86歳の生涯を静かに閉じました。残念ながら東大寺は再度の戦乱で焼失しましたが、現存する大門や仁王像は、炭素同位元素、その他の測定により徳地町産の木材によることが認められています。 |
61歳からの果敢なチャレンジに成功した重源上人の歴史は、我々に大きな勇気を与え将来を示唆してくれるものと言えるでしょう。
(徳地町発行「徳地の俊乗房重源」ほか参考)