
影絵 ・文/石井昭さん(宇部興産〜テレビ山ロOB)
海に開かれたゲートウェイ
豊北町 土井が浜
| 山口県の日本海側港岸は、大陸・朝鮮半島に近いという立地条件から、古来交流が盛んに行われてきました。響灘の波が打ち寄せる豊北町の土井が浜。ここで、弥生人の大規模な遺跡が発見されたのは1953年のことです。およそ四百もの遺体が埋葬された遺跡は、日本の考古学に大きな衝撃を与える大発見でした。しかも埋葬されていた遺体の全てが一様に西方・大陸の方角を向いていたのは、そこからはるばるやって来た遠い故郷への思いを込めたものでしょうか。 当時発掘に携わった方から、20幾つもの頭蓋骨が同じ方向を向いたまま発掘された、その前を横切って通ることがどうしてもできず遺体の空ろな視線を避けて後ろを回るしかなかったと伺ったことがあります。 現在、その中から200体ほどのレプリカが、発掘当時の配置と状態で大きなドームの中に復元展示されています。 |
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鵜を抱く貴婦人 |
中に1体、この地に多い海鵜の骨を胸に抱いて埋葬されていた女性がいました。 海鵜を抱く貴人の女性、卑弥呼のようなシャーマンだったのか、夢は膨らみます。 海鵜は季節ごとにやってくる渡り鳥ですから、当時の人々は何かしら海岸とこの世を往来する神秘的な力を、この鳥に抱いたものでありましょうか。 |
| 土井が浜の沖合いにある壁島という小さな島には、今も多くの海鵜がやってきて、島の岩はグアノ(海鵜の糞・たしかペルーでは肥料としてこのグアノを輸出していました)で白く染まっています。また、埋葬された人々の副葬品、つまりアクセサリーですが、翡翠のまが玉やゴウホラ貝のブレスレットがありました。 | 土井が浜・壁島 |
海の向こうからきた人々と土笛を吹く弥生の人々 |
翡翠は日本では新潟県の姫川付近から、またゴウホラ貝は沖縄で産出するものです。弥生の時代、私たちのご先祖様は、すでに沖縄や新潟などまで自由に往来していたのです。 |
| 土井が浜自体ではありませんが、ここから10キロほど内陸の甲殿適跡からは、中国産のガラス玉も発見されています。新幹線も航空路もなかった時代、弥生の人々は原始的な船を頼りに、県境も国境もない世界を命懸けで渡っていたのでしょう。私たち俗人は、縄文・弥生というと「それほど文化も発達していない時代」程度の浅い認識をしがちですが、吉野が里の弥生大集落、さらに三内丸山の縄文遺跡など、まったく認識を改めさせる発見が続いています。 山口県でも目を見張るような発掘が行われ、私たちを驚かせる時が来るかも知れません。 |
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