
影絵・文/石井昭さん(宇部興産 〜テレビ山口OB)
二百世紀のドラマ 宇部湖の誕生
山口県の地形
![]() |
宇部湖とは何でしょうか。常盤公園の自鳥の湖のことではありません。お話は時代を大きく遡って、2万年の昔のことです。当時地球は氷に覆われて、凍てついていました。50万年の人類の歴史の中で迎えた、3回目の氷河時代です。平均気温は今日よりも摂氏で八度低く、地面の半分は永久凍土、ツンドラ状態になりました。地球上の水は南北両極に氷となって集まり、その結果海面は今日よりも140メートル低くなりました。瀬戸内海の水も涸れ果てて、現在の小豆島、塩飽諸島、そして宇部沖、すなわち「宇部湖」の3個所に、海水溜まりを残すのみでした。 |
日本列島は現在の朝鮮半島と陸橋でつながり、それを渡って数多くの動物がやってきました。西北の大陸から、より南の日本列島にわずかに残る植物を求めて、象をはじめ各種の大型動物が我が国にやって来たのです。秋吉台で発見された大型の鹿の化石なども、そうした渡来動物のものです。 |
![]() |
灼熱の炎の世界
![]() |
氷の時代は、また一方では炎の時代でもありました。このころ、大平洋を取り巻く各地の火山帯が、活発な活動を開始したのです。例えばこの時代、日本最大、鹿児島の南端にあった「あいら火山」は火口の直径20〜30キロ、大爆発で山体が吹き飛んだ跡が、現在桜島火山を囲む錦江湾です。山麓に積もった厚さ100メートルの火山灰が、今日のシラス大地になりました。山口県にも70センチの灰が積もり、遠く仙台にまで降灰は達しました。火山から立ち昇る噴煙は太陽の光を遮り、地球の寒冷化に一層拍車をかけました。 |
| 火山は山口県でも猛威をふるいました。今日円錐形の優美な姿を見せてくれる阿東町の十種が峰(白山火山帯)は、本州最南端のスキー場として、また周辺は林檎の産地としても知られていますが、この山も激しい噴火を繰り返しました。墳火とともに吐き出された大量の溶岩は、山腹を下り太い流れとなり山麓の徳佐盆地をドーナツ状に囲みました。 | ![]() |
再び緑の時代に
![]() |
やがて救いの時がきます。地球が温暖化に転じたのです。両極の氷が融け、海面は再び上昇しました。海面から立ち昇る水蒸気は雲となり、そして恵みの雨となって地上に隆り注ぎました。 |
|
やがて地上には、凍土の世界に替わって植物が繋茂して、緑の世界が蘇ります。約1万年前のことです。氷河時代が終わりを告げ、日本列島では縄文人の時代が幕を開けようとしていました。溶岩のベルトで囲まれた徳佐盆地は、満々たる水をたたえた湖となり、湖面には大きな十種が峰の姿を映していました。やがて、湖を囲む溶岩の壁の一角が、水圧に耐えかねて崩れる瞬間がやってきます。墳き出した奔流は現在の阿武川となり、そして今日山口県に旅する人々を魅了する長門峡の、あの景観を生み出すこととなりました。 |
![]() |
麗しい国土、美しい自然に恵まれた故郷の景色、その中で営まれる人々の生活、これらはすべて二百世紀にわたる壮大な大自然のドラマの、延長線上にあります。絶妙なバランスの上に今日まで営々と統けられてきた地球の歴史を考えると、この責重な世界を子々孫々に伝えて行くために、今ほど真剣な努力が必要とされる時はないといえるでしょう。
*このお話は、山ロ県埋蔵文化財センター所長・中村微也先生に伺ったものです
(宇部興産社内報「ゆーびーいー」掲載)