
影絵・文/石井昭さん(宇部興産 〜テレビ山口OB)
日本三名橋のはなし
岩国の錦帯橋と言えば、中央に3連の太鼓橋を挟んで両端にアーチ橋を配し独特の構成美が人気の的です。その昔、暴れ川への架橋に苦心した岩国の御殿様が、焼き餅焼きの網の上で反り返った焼き餅の形から橋の形のヒントを得たという民話もあります。
17世紀以来不落を誇ったこの錦帯橋も1950年のキジヤ台風による洪水で流失、約2年の工事を経て53年の1月に再建されました。橋の全長は直線で193.3メートル、幅6.6メートルです。

錦帯橋は日本3名橋の1つに数えられますが、あとの2つはどこにあるかご存知でしょうか?
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1つは、山梨県大月市、桂川の急流にかかる「猿橋」です。7世紀始め、百済から呼ばれた造園博士・志羅呼が朝廷の命で橋を架けることになり、たくさんの猿がそれぞれ前の猿の後足をつかんで長い吊橋となって渓谷を渡る様を見て構想したと伝えられます。川の両岸に「はね木」という巨木を埋め込み、さらにはね木を重ね少しずつせりだしてその上に太い橋桁を乗せる、これもまた珍しい工法によるものです。1984年、現代の素材を使って昔の姿の橋がつくられました。 |

そして残る1つは、富山県宇奈月町の黒部川に架かっていた「愛本はね橋」です。黒四ダムの建設でも知られるように、暴れ川として名高い黒部の奔流を越えて橋を架けるために、川の両側から斜め上に向けて大木を「はね出させて」中央部で連結する橋が造られたのは1626年のことでした。他の2橋に比べ、風雪など気象条件が格段に厳しく、また橋桁の長さも長かったため腐食破損が多く、8回架け替えられています。明治に入ってから近代技術による木造アーチ橋に、さらに大正になって鋼鉄製トラス橋にとって代わられました。今日では復元模型が残っているだけです。
檎帯橋、猿橋、愛本はね橋、いずれも苛酷な自然条件に対処して、先人たちがその持てる叡知を終結して作り上げた、当時のテクノロジーの記念碑と申せましょう。
*岩国市の観光振興室、大月市商工観光課の野武さん、宇奈月友学館の滝川さんに伺いました。