
影絵・文/石井昭さん(宇部興産 〜テレビ山口OB)
「松下村塾」はいくつ在る?
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明治維新を推進した思想家といえば、誰もが吉田松蔭の名を第一に挙げるでしょう。1830年萩城下の杉家に生まれ、5歳の時藩の軍学師範で あった叔父吉田大助の養子となり、少年の身で藩主毛利慶親に軍学を講義するなど天賦の才をあらわし1851年脱藩の禁を冒してロシアの軍艦に騒然となった東北など、日本全国を踏破して旅をしました。又、国防を考え、ペリー率いる黒船が来航するとアメリカへ密航を企てて失敗しました。投獄され、萩野山獄で囚人達に学間を教え、出獄後萩に「松下村塾」 開校1859年安政の大獄最後の犠牲者として30才の生涯を終えるまで、凝縮された人生を駆け抜けました。
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中でも松下村塾。杉家の物置小屋を改造した、この小さな塾からは、伊藤博文、高杉晋作、木戸孝允、
山形有朋、久坂玄瑞、山田顕義など、明治維新の人材が輩出したことで有名です。塾生は藩士身分に限らず足軽、中間、町の不良少年まで一切差別がなく子弟協同の農作業や塾の増築を通じて学ぶ「相労役」など、極めて先進的な教育が行われました。本来の塾は萩の松蔭神社に在りますが、優れた教育者として松蔭を偲んで日本各地に
松下村塾のレプリカが建てられました。一体いくつ在るかご存じですか?萩の塾、地
元山口県下で徳山大学、同じ徳山の山口放送本社、阿武町奈古高校、秋田県大館、以前には静岡県責士宮市にもありました。東京では玉川学園大学、そして世田谷区の松
蔭神社の計7個所に松下村塾があって松蔭の遣徳を今日に伝えています。
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世田谷区の松蔭神社は、刑死した松蔭の遺体を伊藤博文、高杉晋作などの教え子が埋葬して墓所となった所です。安政の大獄を執行し、後に桜田門で殺された井伊直弼の菩捉寺である豪徳寺が至近距離にあるのも、不思議な因縁です。毎年10月27日の松蔭の命日には盛大なお祭りが催され、武者行列や松蔭の伝記、萩物産の即売など、大変な賑わいを見せます。
学校崩壊が叫ばれ教育の荒廃が変慮される今日、吉田松陰の教育者としての偉大さが今さらのように感じられます。
* 下関にお住まいの直木賞作家・古川薫先生、萩市博物館の植木さんからご教示を賜りました。
(宇部興産社内報「ゆーびーいー」掲載)